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最近のVTuberはキャラクターの設定を大事にしていないという批判に向き合う,そして……

この批判はもっともで,設定をがちがちに守ったVTuberが見たいという人はいる.そういう考えがあることについて理解し共感する人は私も含めて多い.

ただし,この思想を持つ人の中には過激派が多く潜んでいることが問題だ.例えば設定から逸脱した存在に対して強く批判を加えて,その人自体を攻撃するなどの行為に及ぶことがみられる.

○○ちゃんはそんなことやらないみたいな例である.自分が望む姿ではないことに対して勝手に絶望する人たちである.自分でそう思うのは勝手だが,前述の通り他人に対して攻撃を加えるというところが非常に悪である.こうした暴走した人間に対して,多くのVTuberさん,あるいは関連するクリエイターさんたちは悩まされてきた.

実際のところキャラクターの設定を守ることが,一番大事という考えはそれこそ2017年の段階で崩れている.それはライブ主体のにじさんじが出てくる前の話である.企業が運営していたシロちゃんが,PUBGの動画で感情を出した瞬間からである.昔はあったが今はないという考えを持つ人はそれよりも前から追っていた人なのだろう.VTuberの界隈が大きくなり始めた初期段階からその前提は崩れていたといえる.

設定を守ることは良いことだけか?

設定を守ることは,そのキャラクターが生まれたときの魅力を保全していくという利点がある.ただし,それによって得られる利益に対して,多くの不利益が存在する.

成長を否定すること

VTuberに限らず,人はなにかに挑戦することで成長する.設定という枠組みを守っている限り,成長はない.ずっと同じカゴの中に囚われているだけである.

仲間が増えないこと

設定を守ろうとすればするほど,孤独になっていく.その人自身がやりたくても,ファンが否定すればすることができない.

活動頻度が低くなること

キャラクターの設定を遵守したコンテンツを作ろうとすると動画が主体になり.投稿頻度低くなりがちである.いかにそれが優れたものであっても,頻度が極端に少ない限り,見つけてもらえないし見続けてもらえない.モチベーションも上がらない.

CTuberに近づくこと

頻度をあげようとすると,分業制にせざる負えない.すると,魂をやっている人が単なる声優になる.企業がやっているVTuberだとそうなりがちだ.企業自体も,俺たちがやっているのであって,魂自身は声帯に過ぎないと見なすようになる.その時点で私が思うVTuberは死ぬ.

VTuberとはなにかという問題

VTuberって色々な存在の集合体である.だから何をもってVTuberとするのかが難しい.

例を出すと,イラストレーターさんみたいなクリエイターの人がやっている例,新たな存在としてVTuberデビューした例,ある作品のキャラクターがVTuber化した例,そして動画主体,あるいはライブ主体といったようにバリエーションが極めて多い.

自分が思うVTuberという理想像があってもいいのだが,それとは違うものを否定するべきではない.これを行い始めると,界隈の悪であり癌となる.VTuber界隈がでかくなったことで,こういう人が増えてきた.そういう人も認めるべきだというのは一理あるが,現実的に迷惑な存在である以上,どんな人でも受け入れる公共的な存在ではない我々にとっては相容れないものである.

内面が出ず3Dキャラクターが喋っているだけの動画は,いかにその映像が素晴らしくてもアニメーション作品,キャラクターコンテンツでしかないと私は感じる (ひとによる).見せ方で,ごまかすことはできるが限度がある.

MMDとかの動画も,キャラクター自体というよりもそれを作っているクリエイターを見つめている.つまりVTuberでいうことの魂を見ているのだ.

キャラクターの設定を大事にしているVTuber

他を否定する過激派は無視することとして,設定を遵守したVTuberを増やしていくことは多様性の観点から重要だ.

それを実現するためには,そういう活動をしていく人を見出していくことが重要となる.WEB小説でいうところのスコッパーという存在である.良いものを作っている,あるいは良い物自体が評価されやすいことが大事である.これは視聴者とか有識者だけの話ではなくて,VTuber自身にもいえる.著名な個人寄りのVtuberがいうように有名な企業所属の人に界隈を盛り上げていってもらうことに重複する.もちろん著名である必要性はなく,すべてのVTuber自身に言えることだ.それがコミュニティの力である.

そして,視聴者もVTuberがだれかを好きということに対して認めることだ.そうでないと,表に出しにくくなる.

発展していくVTuber界隈に乗る

VTuber界隈に対して,一部の勝手に絶望して死んでいった人たちを尻目に着実に発展している.それは技術だったり,活動の幅である.ただし発展を支えているのは,正直希望ある未来であるはずというような不確実なものだ.

将来どうなるかはわからないけれど,未来に楽しいことが待っているように信じてみな取り組んでいる.VTuber界隈に関わっている人間皆が,そういうところがある.この先どうなるのかは分からないけれど,一度きりの人生ならば賭けてみるのも悪くはないと.あなたはどうしますか.